講師プロフィール

私のヨーガの出発点は、佐保田鶴治 先生の「ヨーガ禅」です。

佐保田鶴治先生はヨーガ禅の提唱者であり、日本ヨーガ禅道友会の創設者です。インド哲学の学者でもあります。京都帝国大学文学部を卒業後、立命館大学、大阪大学で30数年間教授生活を送りましたが、若いころから虚弱体質で、60歳を越えるまで、満足な健康感を味わったことがなかったと言います。そこで大学を退官してから、あるインド人にヨーガの手ほどきを受け、自らも研究し、日々ヨーガ実践の生活に入ったところ、今までの自分が信じられないほどの健康感を獲得することができたと言われています。 (ヨーガ入門より)

日本ヨーガ禅道友会教師 永田佳子

鹿児島県出身 お茶の水女子大学卒 専業主婦 家族(夫・一男二女) ヨーガ歴43年
元 イトーヨーカドー ヨークカルチャーセンター 講師
元 イオンスポーツクラブ インストラクター
前 東京信用金庫 ヨーガ教室 講師
現在 世田谷区・文京区にて教室開催中

noteでコラムを書いています。ぜひご覧下さい。

私とヨーガ

ヨーガを始めたきっかけ

20歳でヨーガを始めたときは大学生で、今より10キロほど太っていました。美容体操のつもりで気軽な気持ちでした。ヨーガ教室の先生に「少なくとも3ヶ月は続けてみてください。」と言われたので、3ヶ月通いました。すぐに痩せることはなかったのですが、私が驚いたのは心の変化でした。第一志望の医学部の受験に失敗しましたが、受験戦争はなんとかくぐり抜け、大学生になったものの、人生の目標を見失っていわゆる5月病のような状態であったと思います。大学の勉強もろくにせず、鬱々として過ごしていました。ところがヨーガを習い始めて3ヶ月、何かしら前向きな気持ちになりました。
「どうして、単なる体操が心の状態をこんなに変えてしまうのか・・?」とても不思議でなりませんでした。これが私のヨーガを始めたきっかけです。今思えば、それは少しも不思議なことではなく、ヨーガが単なる体操ではなく、呼吸法と瞑想法を伴ったものであるから、当然のこととして心のあり方まで影響を与えたのでした。

佐保田鶴治先生の「ヨーガのすすめ」

教室の先生に紹介された本が佐保田鶴治先生の「ヨーガのすすめ」でした。本の最初に書かれていたのが、インドで紀元前数世紀の昔に作られた聖典ウパニシャッドの一句

万物の創造主は人間のあなを外向きにあけた
それで、人間は外の方を見るだけで、内の方を見ようとはしない
唯だ、賢明な人たちだけが、眼を内へ向けて真我を見る

哲学や心理学が好きな私は、それまでニーチェやサルトル、ボーボワール、ユングなど、読んではいましたが、今ひとつよく理解できず、頭の中で空回りしているだけでした。このウパニシャッドの言葉に体操と思っていたヨーガに哲学的な要素があることに驚き、たいへん興味をもちました。
ウパニシャッドは、現存する文献のなかで一番古いヨーガ行法とその思想が示されている奥義書です。その中でヨーガということばは、特定の心理的な修練行法として定義されています。
「五つの知覚器官(目、耳、鼻、舌、皮膚)が意(思考器官)とともに静止し、覚(判断を下す器官、理性)もまた動かなくなったとき、これを人々は至上の境地だという。かように諸々の心理器官をかたく執持することをヨーガとみなしている」
ヨーガの原点ともいえるウパニシャッドには、このように深遠な思想がありました。インド哲学の素養のない私には、とても難解な内容でしたが、佐保田鶴治先生はお話や著書で、一般の人にもわかりやすく、ヨーガの思想を説明してくださいました。最初に先生は、京都大学の図書館でみつけた英語で書かれたヨーガの本で独習され、難しいアーサナもできるようになりましたが、健康感は得られませんでした。
ところが、あるインド人に簡単なヨーガを習ったところ、虚弱体質がみるみる改善されてきました。この違いは何だろうと考えて、生み出されたのが「ヨーガの四原則」です。ヨーガの行い方が違っていたことに気づかれました。ヨーガは、珍しいアーサナの形にどうしてもとらわれてしまいがちですが、その行い方が大切です。ウパニシャッドにかかれているように、外に見えるアーサナの形より、自分の心と体を内観することが必要です。
佐保田鶴治先生が提唱されるヨーガの道を進んでいけば、これから生きていくうえで、私の大きな支えになるであろうと直感しました。あれから、43年。いろいろなことがありましたが、そのときの直感通りヨーガは私の心と体の大きな支えでした。

私が体験したヨーガの効用

若いときは猫背で、幼少の頃からの蓄膿症は手術もしましたが、完治しませんでした。最初は不得意だったヨーガのらくだのポーズを7、8年間毎朝欠かさず行なうことにより、胸や肩の広がりがでてきて猫背は、改善されました。蓄膿症は、ヨーガの様々なポーズで、頸椎の伸びがでてきたこと、カパラバーティなどの呼吸法で、完治したのではないかと思います。
早朝、毎日ヨーガを1時間から1時間半行なうのは、始めたときから、あまり努力なく、自然と続けてきました。歯を磨くことや、顔を洗うのと同じ感覚です。早朝のヨーガの習慣は朝方の生活になります。食事の時間も規則的になり、食べ過ぎもあまりなくなります。料理が大好きで、食生活は野菜中心の食事を続けてきたこともあり、20歳のときより、10キロほど体重を無理なく減らすことができました。
ヨーガを生活の一部として、毎日続けることが大切と実感しています。健康的なライフスタイルが自ずと、できあがっていくのです。それはまた、心地よい毎日の暮らしにつながっていきます。
夫は50歳代からヨーガを始めるようになりました。扁桃腺が弱く一年に2,3回は風邪を引いていました。魚のポーズなどで喉を刺激することで今ではほとんど風邪を引かなくなりました。大学時代、空手をやっていたこともあって、身体の持ち方としてのヨーガにも深い理解があり、毎朝ヨーガを行なっています。私がヨーガの勉強を好きなだけ続けてこられたのも、夫の支援あってこそと感謝しています。

瞑想について

今は、だいたい朝4時から、1時間ちょっとヨーガのアーサナを行ない、呼吸法を行なってから、10分間の瞑想をします。
瞑想はいろんな先生のお話を聞いてきましたが、ずっと今ひとつピンとこないものがありました。ヨーガの友人にアメリカでベストセラーになった「頭を空っぽにするレッスン」という本を紹介され、瞑想のやり方に自分なりの納得ができて行えるようになりました。とても自分なんか瞑想までは無理と思っていましたが、瞑想とは、「ただ日々の心を写真に撮ること」と書かれてありました。 毎日行なうと、自分の心の動きをまるで写真を撮るように、ひたすら観察することになります。呼吸の数を数えながら、心に様々なことが浮かびます。浮かんでもまた、呼吸を数えることに心を戻す、私の場合まだそれくらいのレベルの瞑想です。瞑想のほんの入り口に過ぎませんが、自分の心の小さな変化を感じています。思考パターンの変化です。
何か不安なことがあると、悪いほうへばかり考え、心が落ち混んでしまいがちだったのですが、その方向へいこうとする自分の心に前もって気付き、そんなふうに考えるのはやめようと思うようになりました。
例え話があります。毎日通る道に穴があいている。そこに落ちることがわかっていながら、いつも落ちてしまう。それは毎回同じ感情の罠にはまり、心の混乱に陥る場面そのものです。瞑想を続けることにより、その穴が早くから見えて避けるための行動がとれるようになる。練習によっていずれ穴がはっきり見えるようになり、そのうち簡単に穴をよけて先に進めるようになる。(「頭をからっぽにするレッスン」105頁)
モントリオール大学の研究チームは、瞑想をしている人としていない人のあいだで、痛みを感じているときの脳の反応の違いを調べました。その結果、瞑想をしている人は、していない人に比べて痛みや感情をつかさどる脳の部位がかなり厚い→痛みへの感受性が低くなることがわかりました。つまり、瞑想すると、ものの見方や考え方が変わるだけでなく、脳の器質的構造も変えられる可能性があるのです。これには驚きました。瞑想で脳の形が変わることがわかってきたのです。
瞑想は、修行僧が行なう特別なことでなく、またいわゆる「悟る」ためのものでなく、もっと身近にとらえて生活のなかに取り入れてよいのではないかと思います。自らの心を観察し、客観的にとらえられるようになると感情や思考に振り回されることも少なくなるのかもしれません。
ヨーガの教室で高齢の方と接することが多くあります。歳を重ねるのはなかなか大変なことです。体が健康なことはもちろん大切ですが、心もしなやかで活力があることが必要です。瞑想を行なうことにより、心の健康も保てるのではないかと、最近は考えています。
毎日、決まった時間に決まった場所で、ヨーガのアーサナ、呼吸法、瞑想を行なう・・・これが私の場合、今の心地よい毎日の暮らしをつくっているように思います。